私の10月6日

BBCアプリの通知機能をONにしているので
10月6日(時差で6日だったと思う)に数百人が死亡という通知が来ていて
はっと息を呑んだのを覚えている。

数百人死亡、という文字に衝撃を覚え
どこで、誰がという情報を全く覚えていないけれど
 7日のハマスの攻撃の速報だったのだろう。

そのとき私はアフリカ・ルワンダにいて、30年前に起こっていた
多数派による少数派のジェノサイドに関する取材のアシスタントをしていた。
まさにその数日間聞いていた話とリンクしすぎて信じたくなく、
その時はロケに行かなければならなかったのもあり
内容をチェックできなかった。

帰国のあたふたに揉まれながらも、
しかし鳴り響く通知には毎日死者数が報じられている。
おそらく帰国翌日だったと思う。おそるおそる報道を追い始めた。

ガザでの虐殺が始まっていた。
なぜ、なぜ?
私は、ルワンダで一万人が殺された教会を訪れたばかりだった。

パレスチナのジャーナリストが報じたのは「安全だと思って逃げた」教会や病院で、爆撃に遭って死んだ数々のひとびとだった。

まったく同じことが起こっている。
ニャマタ記念館で見た、数えきれない犠牲者のひとびとの衣服が私の頭の中から離れなかった。
仕事だから、写真を撮ったほうがいいのかと一瞬頭をよぎったけれど
並べられた小さな簡易ベンチの上に、大量に重ねられたボロボロの衣服
その中には赤ちゃんのものであろうほんとうに小さなワンピースもあった。

身体が固まって、携帯電話のカメラのレンズを向けることができなかった。

帰国翌日、人口の約半分が子どもの街で
爆弾が降り注いでいる?
むり、むり。こんなのたえられない。

だけど、東京の街は相変わらず日常で
誰も現在起こっている虐殺のことなんて知らないみたい。
私が目で見ている世界、報道で見ている世界、オンラインで見ている友人たちの世界、私の頭の中の記憶・・・同じものだとは思えなくて、私にとっての世界が音を立てて倒壊し始めた。本当に怖い。

 

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それからいろいろと、パレスチナイスラエルの歴史を学んだり
アフリカについても全然知らなかったと思い、反省して映画を見たりしています。

ひとつ、私が言えるのは
今起こっている虐殺をなんとしてでも止めなければならないこと

デモに行ったり、デモが苦手ならオンラインで意見を官邸に送ったり
署名をしたり、イスラエル支援をしている企業などをボイコットしたり
できることはたくさんあります。

ルワンダでも本当に、本当に思ったのは、
一度起こってしまった虐殺は 2度と収束などしないということです。
一見、平和に見えるルワンダでも未だ多くの人が恐ろしいトラウマに襲われたり
当時負った精神的/身体的な傷と暮らしていたりする。

そして、こんなに大規模な虐殺が起こる時
原因はおおよそ外的なものであることが多いのです(というかほとんど帝国主義とか植民地主義とかです)。
イスラエルの建国から75年間の支配は、それ以前のヨーロッパにおける
ユダヤ人迫害の流れにあります。

陳腐に聞こえるかもしれないけれど
憎しみは憎しみしか生まないし
暴力は暴力しか生みません。

パレスチナの中で、今日、明日にも死ぬかもしれないと
避難しているひとびとにできることは本当に今を生きることだけで
虐殺を止めるのは、この虐殺の、75年間の抑圧の原因を作った
わたしたち(日本も含む)パレスチナの外にいるひとびとの責任です。

(今から勉強するのは少し遅いですが)
遅すぎることはないです。勉強しながら、声をあげましょう。
これ以上殺されるはずではなかったひとが殺されるところを見たくありません。

 

ルワンダの首都 キガリの風景
千の丘と呼ばれる丘陵地帯 美しい風景

 

10月、気候危機のせいで暑すぎる秋の訪れに頭がぼんやりとしながら
パレスチナの子どもが身体の震えを止められず戸惑っている映像を見る。
これは現実なのか?私が感じているものを受け止められず
だけど、その場にいる人たちこそもっと受け止められないはずだと思い直して
私はひたすら祈り続けている。