にっき
0114
人が人を殺すときって、耐えられないほどの憎しみを感じたときなんじゃないかと思うのだけれど、せんそうが起こるとそれは、目の前にいるひとが自分が属しているものとは違う属性を持った他者だから、というだけで人を殺す原因になってしまう。私とは全く違う世界を見て、匂って、触れてきたこの人は、最後に何を思って死んでいったのだろう。痛かっただろうなあ、とか、痛みすら感じる時間がなかったんだろうか、とか、どくどくと反応する体液が血管の中で破裂するのを感じたんだろうか、とか。人のいのちが奪われることが日常のこの世界で、それでも一人一人の死を悼むにはどうしたらいいのだろうか。死んだいのちのそれぞれに、それを見つめた人がいた、そして悲しむ人がいた、だろうということ。家族、とか、だけじゃなくて、たまたま死の場面にあった見知らぬ人たちも、じっと見つめて、悼むことはできる。報じられる死者数の何倍もの人数が傷んでいるんだろう。この世界で。私の静かな部屋へも、叫び声は絶えず聞こえてくるような気がする。ーー暴力のかく美しき世に生きて、化粧台に立ち前髪を切る
0115
ななこには幸せでいてほしいと思う、と言ってくれた友人がいる。私の人生に少し参加してくれた人たちがいて、私は彼らに幸せでいてほしいと思う。私の心を揺さぶった人がいて、心配してくれた人がいる。そういうことで、私はなんとか成り立っている。
編み物日記③ ゲージを合わせる
編み物にはゲージという考え方がある。10cm四方の網目を編んだ時に、横何目・縦何段できるかを測るためのもので、目標にしている編み図に書いてあるゲージと合う毛糸を使わなければ、同じように編んでもサイズが違うものができてしまう。
私は前回編んだマフラーで、ゲージのことを知らないまま持っている糸で編み始めてしまったので、マフラーにしては幅狭であまり暖かくなさそうなものが出来上がってしまった。ゲージって何?と聞いた母が「あんまり最初は気にしなくていいんじゃない」などというからだ。すごく大事じゃないか。
今度は夏に向けてサマーベストを編んでみようと思う。ちゃんと編み図に書いてあったものと同じ糸を用意した。爽やかな水色。これが着られるうちに完成したいと思っているけれど、夏はどんどん長くなっているので案外楽勝かもしれない。
最近、いろんな人の人生史を聞くワークショップに参加した。ある町に住んでいるいろんな人たちに、11歳だった頃の記憶を起点にしてこれまで歩んできた道のりを聞くというもので、私は8名くらいの方のお話を聞いた。それぞれの人が歩んできた道のりはバラバラで、それぞれに面白かったり学びがあったりしてとても濃密な時間だった。特に私は自分の希望で通っていた高校の先生に連絡をとってお話を聞かせてもらったのだけど、その時はたくさんいる先生の一人でしか無かった先生の人間の部分が見えてきて、「先生」の中には「〇〇さん」がきちんといるのだなぁと当たり前のことを実感した。高校の頃なんかは自分のことで精一杯で、少しその頃と距離ができたからこそこんな風に思えるようになったのかもしれないけれど。
それでもこのワークショップを通じて感じたのは「話を聞く」ということがとても難しいということ。ここで話を聞いた私たちは、最終的にそれぞれのお話を2000~3000字程度の小冊子にすることが目標で、それを通じてある種の地域史的なものだったり今のその町の姿が立ち上がってくるのではないかという取り組みだ。だけど、それぞれの人にお話しを聞くとき、それは「インタビュー」ではない気がするので、絶対に聞かなければならない項目だったり、押さえておくべきポイントのようなものはあまりない。だから、この人の話をどのような姿勢で聞けばいいのかということが分からなかった。
ワークショップの主催者の方は、こちらの聞きたいことを聞くよりは「相手が話したいことを聞く」ことを大切にしてみてほしいと言っていた。話したいこと。
SNSが一般的に使われるようになり、私は社会の中に言葉が垂れ流しにされすぎていると感じている。自分の言葉が人に見られる/聞かれるという意識のないまま、思考が十分になされていない言葉が氾濫する。そのような言葉の使い方が当たり前になってきてしまったからこそ、実際に対人間と話すということがすごくすごく下手になっている人がとても多いような気がする。どこかで見たような気がすることを事実かどうか分からないままにシェアしたり、自分の思考が全く入っていない他者の言葉遣いをそのままに話したり。
そんな今だからこそ、「自分の過去」という一人の人間の中で最も主観的な話をしっかり聞く・話す場を作るということの意味があるのではないかと思う。自分の内面を他者と共有することはとても怖いことだけれど、自分の存在についてとても勇気づけられる瞬間でもあると思った。
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以前ほどあんなに大好きだった洋服に興味がなくなってきた。中学生のころからファッション雑誌が好きで、高校になったあたりから「個性的」とか言われているような洋服にはまったりもした。もともと古着が好きだったけれど、環境負荷のことを知ってから洋服は基本ヴィンテージのものを選ぶようになった。きちんと手の込んだ洋服を大切に着たり組み合わせることは好き。
ファッション誌こそ読まなくなった今でも自分でかわいいいと思う洋服にはときめきを感じるし、古着市なんかにもわくわくする。それでも以前ほど熱を持って洋服屋さんに通えなくなったのは、ショート動画、リールに溢れかえる洋服が石油の塊にしか見えなくなったからだ。ときめくものを少しずつ、が良いと思い始めたのは金銭的にそんなにたくさん買えないというのも理由はあるけれど、誰もが知っているような流行りものや「テクニック」で「垢抜け」るために何着も買うことに魅力を感じられないからだ。けれど、世の中の人たちにとって、洋服は自分が好きなものを着るものではなく、世間に対して私はこういう「系統」です、と見せるための道具にすぎないのというのが本当のことらしい。消費社会、データ社会、匿名化。
編み物を始めてから、既製品をそのまま買うよりも編んでできるならそっちの方が楽しいかもしれないと思うようになった。私が自宅で使っているランチョンマットは、多分一人暮らしを始めた頃からずっと使っているので9年もの、けっこう汚い。洗濯はしているけれど、そろそろ新調しないとなあと脳みその端っこに3ヶ月くらい。
京都のhusという手芸屋さんが6月末に仙台でポップアップをやっていたので行ってみると、なんとランチョンマットの編み図セットが置いてある。ほんとうは、バイカラーのベストもかわいかったのだけれど、今取り掛かっているサマーベストの完成がまだまだ見えないのでそちらは諦め、せっかくなのでランチョンマットを作ってみることにした。急いで必要なものじゃなければ、こんなふうな時間の使い方も悪くないと思う。
編み物日記② 2月6日: ひたすら編む
編み物を初めてからおよそ1ヶ月。マフラーがちょっとずつ伸びていくのが心地よい。この前は初めて糸の色変えをやった。すごく簡単なのに網目の色が綺麗にまっすぐ変わるので不思議だ。
最近の日課は、夜ご飯を食べたあとひたすらツインピークスを見ながら編むこと。デヴィッド・リンチが亡くなって、これまで何度(三度くらい)挑戦しても途中までしか見れなかったこの作品をちゃんと見ようと思った。シリーズ2まで見終わったときに何とも言えない「見たことがある」感があって、もしかしたら何度も挑戦していたうちの一度くらいは最後まで見ていたのかもしれないな、と思った。一話が60分くらいあって全部で二十八話とかまであるので、見始めてからすでに2週間くらいが経っていて、どことなくツインピークスの物語が私の体の中にundercurrentとして流れている不思議な感覚に陥っている。今は2017年制作のリミテッド・イベントシリーズの終盤で、終わってしまうのが寂しいです。
映画界のビッグが亡くなるたびに、ああもうこの人みたいな人は出てこないのかなあと思ったり、私はこの人に会えたかもしれないのに会わずに亡くなっちゃったなあと考える。リンチを知ったのは大学生の頃だから、本気で会おうとすれば会えた時間軸もあって、私はその時間を他の何に使ってきたんだろう。

トランプが大統領に就任して、ますます世界が酷い方向に向かっている気がする。Ahmedさんは、あんなに大変な中で動物レスキューの活動をしている。グループチャットに彼とLisa(飼い猫)のセルフィーが送られてくるとき、私はなんてうつくしいひとなんだろうと思う。ひたすら編み物を続けていると、もしかしたらこのマフラーがいつかガザまで届くんじゃないかと思ったりもする。だったら思い切りカラフルな色を選んで杉並区からガザまで、おっきな虹みたいになればいい。そう考えると、ひたすらまっすぐ伸びるマフラーを最初に選んだのは正解だったかもしれない。何にもできなくてごめんなさい、って私は思ってるけれどこれは私が彼らに言うべきではないことだとも思っている。もう少し元気が出たら外に出よう。私はもうすこし回復の時間が必要だ。
編み物日記① 1月6日:編み直す
編み物を始めて約一週間、ロレッタ・ナポリオーニ著『編むことは力』を読み始めて約二週間。少しずつ一目ゴム編みが早くできるようになってきた。最初にやってみたいなと思い始めた時を考えるとおそらく数年越しのスタートはまあまあ順調である。
帰省すると母が編み物をやっていたので、編み方を教えてもらった。多分1人で始めていたら3日坊主になっていた気がする。基本の一目ゴム編みは慣れたらどうってことない簡単な編み方だけど、慣れるまでが結構大変で、私はこの一週間でほぼ毎日いやになって何度も途中で放り出している。
何が難しくて何が簡単なのかもわからなかったので、最初に選んだ手袋も、二番目に(母が)選んだカバンも難しすぎて、10段弱編んだところで正解が見えなくなって全部ほどいた。糸ってすごい、と思った。だって、あんなに複雑に見えていた網目も、片方からするするとほどいていったら少し捻れた一本の糸に戻ってしまうのだから。
今は一番簡単なマフラーをとりあえず編み始めてみた。私は気がついたらマフラーが増えている隠れマフラー持ち(ほとんどもらいものだけど・・)なので、別にマフラーが必要なわけでもなく、もともと手袋にしようと思って買っていた糸なので、マフラーにしたい色の糸でもないのだけど、初めてなのでこれくらいの誤差は良しとしたい。毛糸を一玉分編めたら、別の色を買いに行こうかな。
するする、するすると糸はほどける。まるであんなに時間をかけて編んだことが嘘みたいに。「ほどけてしまう」とも言えるけれど、「ほどくことができる」ということでもあるみたいだ。
「あなたは編む人間で、優れた編み手だから、カーディガンをまた編むことができる。無くしたものと同じにはならないけれど、別のもの、もしかしたら最初のものより美しいものになるかもしれない」
『編むことは力』P. 64
流産で子供を亡くしたロレッタに対し、かつての大家さんでヒッピー、編み手でもあったグレッグがかけた言葉だ。私が何度も糸をほどいたこの数日のあの時間、ボランティアに行った能登の門前町で泥かきをしたたった1日のあの時間、どうしようもなく苦しくなったときに短歌として吐き出した私の言葉。それらは全て私自身を編み直す時間だったのかもしれない。
ボロボロになってひび割れだらけのこの世界で、私たちに必要なのは一つ一つ空いた穴を編み直すこと、もう一度ほぐしてほどいて、いろんな色で世界を編み直すことなのではないだろうか?
ある日ーーわたしが花を買ったかもしれない日
Al-Barakaのロータリーに向かって歩いていた時、混み合っていたDeir al-Balahの市場に道の片隅でうずくまっている男性がいた。最初に見た時は物乞いをしている人かと思い、そのまま歩き続けた。すると、彼が私の方に向かって走ってくるのが見えた。彼は私をきつく抱きしめ、そして涙が溢れんばかりに号泣していた。私はそれでも彼が誰だかわからなかった。彼は哀れな口の聞けない男だった。私がRafahで彼に出会ったとき、彼は調子が良さそうだったが、今は青白く、埃まみれだ。彼の体は痩せ細っていた。着ている服はぼろぼろで汚かった。片方の足は医療用の布で包まれていて、苦しそうに引きずっていた。おそらく爆撃の際に瓦礫に当たったのだろう。彼はずっと私のことをきつく抱きしめていた。私のことを離そうとはしなかった。彼から身体を引き離そうとすると、彼は私の顔や頭にキスをしてきた。そしてもっともっと泣いた。再び私を抱きしめた。
私の心は揺さぶられ、彼がこんなに圧倒されている理由や、感情の昂りについて思いを巡らせた。彼の涙はなんと激しいものか。お金が必要なのだろうか?私はすぐにこの可能性を除外した。彼が望まなくても私はそうするつもりだった。しかし彼はお金など必要としていなかった。この状態は4分間以上も続いていた。通行人たちが私たちに気がついてこちらを見ている・・
なぜ泣いているのか、と尋ねると、おびただしく泣きながら彼は身振りを使って答えた。彼ら(イスラエル)が彼の家を爆撃した。彼の妻と子供達が亡くなった。彼は足に怪我をした。彼はたった1人でDeir al-Balahまで逃げてきたという。
彼を慰めようとしたけれど、彼のこころの痛みが耐えられる以上のものだと気がついた時、私は彼にまた抱擁を返していた。ポケットから、私が援助できる限りのものを取り出したが彼はそれを拒否した。どうしても、受け取ってもらえなかった・・
彼は、その手をさみしそうに空の方へ向けた。Rafahの南の方へ。彼は、心のうちをどうしても私に打ち明けたかったのだ。神に対して慰めを求めているのがわかった。お金や、自分自身の生命はもうどうでもいいことなのだった。彼は、妻や子供たちとともに死の世界へ行くことを望んでいた。彼が私を見かけた時、私がRafahのことを思い出させたからとても幸せになったのだ。Rafah、彼の想像のうちでまだ美しく在る場所、夕方には自分のことを待っている妻や子供たちのもとへ帰っていたところ。もしかすると、彼はもっと彼が経験した辛いことを語りたかったのかもしれない。彼が生きた、赤と黒(血と埃)しかない恐ろしい瞬間。しかし、私たちの間に言語はなかった。身振りだけではうまく全てを伝えることができなかった。もちろん、悲劇の全貌も。
彼と別れてからこころのうちに突っかかっていること、彼のように哀れな人々はどうやって彼らのこころに降りかかるこのあらゆる悲劇と災難に耐えているのだろうか?叫ぶことができない、抗議をすることもできない、ましてや悲しみや涙以外の方法で気持ちを表現することもできない状況で。彼らの深い悲しみは、彼ら自身が崩壊し道路や移住先のテントで生命のない死体になるまで、こころのうちで増幅する。どれだけの人が、この哀れな男のように自らのこころの中に、その経験した痛みや苦しい記憶を抑圧しているのだろう。死が彼らの命の火を絶やすことを望みながら。家や、家族、避難していたはずの安全な場所を失った数千の人たちを待ち望んでいる終焉はなんなのだろう。彼らは孤独で、家もなく、折れた翼で生き延びようと戦っている。💔😞
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※()内は私が補足して書きました。
以上の日記は、何度か私がやりとりしているAhmedさんの文章です。
自分でも日本語にしながら苦しくなりました。元となる投稿は以下にあります。
勢いで翻訳したので、英文を読んで間違いに気がついた方いたら教えてください!!
Ahmedさんや、ガザの方たちに手助けをしたい方、
寄付リンクをいくつか貼るのでみんなで助け合いましょう・・!
ブログ中の「ガザの人」 Ahmedさん
パレスチナ難民のための皆様のご寄付をよろしくお願いします|UNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関 日本語特設サイト
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FREE PALESTINE!!
もう希望はない
少し前にインスタグラムのDMで、ガザに住む人からDMが来た。寄付をしてほしいというお願いだった。その人はその人が置かれている状況を説明してくれた。アカウントを見ると、イスラエルによる攻撃が始まる前の日に大学を卒業したばかりだった。その人は、Whatsappのグループチャットを作り、自分の状況を伝えているのだと、招待リンクも送ってくれた。
グループチャットに入ると、その人は毎日なにか動画だったりメッセージだったりを送っていた。そのどれもが「もう希望はない」「毎日疲れている」という気持ちの吐露とともに爆撃の映像や、水を汲みにいく様子が送られてくる。ある日その人は「ユダヤ人が悪い」と一言コメントした。わたしは少しひやっとした。
グループ内の、いつも返信している人のうち一人が「これが何か違いを生むか分からないけれど」と前置きして、「ユダヤ人」の中にもパレスチナに連帯している人は世界中にいること、占領と虐殺を行っているのはシオニズム主義/一部のキリスト教徒と権力者だということを指摘した。ガザのその人は「そうだね」という趣旨の返信をしてその会話は一応終わった。
私は分からない。返信を書いた人の対応は間違っていないと思う。だけれど、虐殺をまさに受けている人たちに対して、「あなたの『敵』は全員ではない」という指摘をすることは、自分にはできないかもしれないと思ってしまった。明日にも爆撃に当たって死んでしまうかもしれないと、日々、私には絶対に想像することができない恐怖を抱いてなんとか生きようとしている人たちにとって占領者は紛れもなく「ユダヤ人」であり、世界中にパレスチナをサポートしようとしている「ユダヤ人」がいると伝えることはどれだけ意味のある行為なのだろう、分からない。
その人は、その日から「シオニスト」という言葉を使うようになった。ガザで、水すら十分に飲むことができない暮らしの中で、「他者の声/指摘を聞く」ことがどれだけ疲れることだろうと想像する。その人は、目の前で友人が爆撃に遭って殺されたと言っていた。瓦礫の中で動けずに、脳みそが半分見える状態の友人のそばに2時間もいたのだと。その光景が忘れられないのだと。
8月6日。広島平和記念式典には、今もガザで虐殺を続けているイスラエルが参列している。イスラエルの招待をやめろと声を上げ続けた市民の声を無視した広島市長は「他者の声を聞」き、「対話する」ことで平和を築くという趣旨のことを言っていた。平和公園の周りはバリケードで囲まれ、イスラエルの招待に反対する市民の声は排除された。
「対話」とは何なのか?私は、虚構だらけの式典で行われたスピーチではなく、whatsappのたった30数人のグループで行われていたメッセージのやり取りの方がよっぽど人間的でよっぽど「対話」の試みが行われていると思う。対話とは、他者の声をなんとなく「聞き流す」ことではなく、それに応答しようと必死に聞くことではないのか。
私は、26歳になった。この2年くらいでようやく自分が広島出身であるということと向き合うことができるようになった気がする。
私の自宅がある安佐南区のあたりは、原爆投下の直接的被害こそ免れているものの、黒い雨は激しく降ったとされる範囲にある。(新興住宅街なので、当時は山だったけれど)小学校のころから原爆の平和教育を受けたし、政治とかって怖いと思っていた当時でさえ、「原発」とか「戦争」という言葉に対する根源的な恐怖のようなものは感じていた。
先日読んだ関口涼子の「ベイルート961時間」で、彼女は福島と3・11をベイルートに重ね合わせていた。ある土地が、災厄や戦争などを機に世界中に知られることは、その土地がもともと持っていた文化や歴史を無視して「すでに傷つけられた名前」として多くの人が初めてその土地の名前を耳にするということだ。ベイルートは、まだ内戦の傷も生々しい2020年8月4日に大規模な爆発が起こって街が破壊された。陸前高田、石巻、フクシマ・・・それに連なるように、ヒロシマやナガサキ、チェルノブイリなども「傷つけられた名前」。
高校生の時に2週間だけイギリスへの短期留学プログラムに参加した。そこでルームメイトになった子に「日本のどこ出身なの?」と聞かれたので「広島だよ」と答えたら「え!あのヒロシマ?木とか生えてるの?普通に暮らせるの?」と驚かれた。当時は、そんなバカな・・と思っていたけれど、私がもしチェルノブイリ出身の人にあったら、同じことを思ってしまうだろう(今でも)。
話がすっかり脱線してしまったけれど、「ヒロシマ」とはそのような土地なのだ。傷つけられ、トラウマを土地全体で引き受けなければならなくなった場所。ありとあらゆる記憶がそのまま放置され、ぐちゃぐちゃになったまま人々が生き延びてきた場所。ある時間で過去と完全に分離されてしまった場所(そしてそのせいで過去の「加害」ーー「軍都廣島」が忘却されてしまった場所)。そして、生き延びた人々が、そのぐちゃぐちゃとなんとか向き合おうと大切に大切に痛みを引き受けてきた場所。
その痛みを引き受けるという行為はまだ終わっていない。そんな土地の「平和記念式典」に現在進行形で痛みやトラウマを人工的に、システマティックに、アパルトヘイト的に引き起こしている国家であるイスラエルを招待すること、それがどれだけ痛みと向き合ってきた一人一人の「ヒロシマ」の市民たちを傷つけることなのか、そして現在進行形で傷を抉られ続けているガザの、パレスチナの人々たちの尊厳を踏み躙ることなのか、考えても考えても、あまりの喪失の大きさに胸がかかえきれなくなる。
ガザの人が招待してくれたグループチャットで、私はまだ一度も発言したことがない。私はまだ、その人と個人で向き合う用意ができていないのかもしれない。今日は、飼い猫とのツーショットが送られてきた。人間が生きている。銃口をその目の前に向けられながらも生きている。なぜ止められないのか、その行為を行なっているのは本当は誰なのか。私たち自身ではないのか。私たちはなぜ生きているのだろうか。本当に、わからない。
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金銭的に余裕のある方は、ぜひ寄付をお願いします。
私も少額ずつでしか寄付できていないし、そんなにたくさん行動を起こせているわけではないですが、わからないと思いながらできることから少しずつ歩みを進めていくことが大事なのではと最近は思っています。
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ブログ中の「ガザの人」 Ahmedさん
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沈黙を聞く / I hear the silence
「沈黙」という言葉は不思議だ。
意図的な沈黙と強制された沈黙では全く違う意味を持つし、
意図的な沈黙の中にもグラデーションがあるのだという記録。
パレスチナで起こっているジェノサイドに心を痛めている。
もう9ヶ月も続いていて、各国(特に「先進国」と呼ばれる国々)は
ウクライナ侵攻が起こった時とは打って変わって
イスラエルの「自衛権」ばかりを主張している。
何人の子供が殺されているかということに目を瞑りながら。
パレスチナに連帯する人々の間では「Your Silence Kills」という言葉が使われている。
圧倒的におかしなことが起こっていると知りながら中立ーー沈黙していることは
そのジェノサイドに加担しているのと同じことだ、という意味だ。
圧倒的に組織的な力が働く日本の選挙なんかでも同じように
中立を装って「白票」を入れることは実質的には権力者の票になる
とも言われている。
こうした沈黙は私も腹立たしい。
自分の言葉で何かを発信することは怖いし、間違えたことを言ってしまうのではないかと不安になってしまう。
声を上げるまでに時間がかかってしまうことも重々わかっている。
その人が置かれている状況によって声を上げられるのが簡単だったり難しかったりするのもわかっている。
けれど、やはり圧倒的な暴力が不条理に行われていると知りながら
何もしないこと、沈黙を貫くことは、消極的な暴力の黙認であり、加担である。
では、強制された「沈黙」とは何か?
関口涼子のエッセイ「ベイルート961時間」という本を読んでいたら、こんなエピソードがあった。
同性愛が違法とされているレバノン。道端の壁に男性のカップルが抱擁している絵が描かれている。そして、その脇には「きみの沈黙をぼくは聞く」という言葉がアラビア語で記されていた。
同性愛者であることがばれると逮捕される可能性がある場所で沈黙すること、それは積極的な抵抗だ。
沈黙を選び、自分を守ること。自分の内側において自分であり続けること。
その沈黙ーー声なき声を聞くとこのように匿名で名言することも抵抗だ。
同じ「沈黙」という言葉で表現されても
その沈黙の周囲に漂う匂いのようなものは全く違う。
抵抗としての沈黙には祈りに近いひたむきな意思が込められていて
蜃気楼が浮かぶほどの熱のようなものを感じる。
パレスチナでは50万人が「人工的に」飢餓状態に陥る可能性があり
インスタグラムなどで家族の状況を発信している人たち(わたしたちに可視化された人たち)はそのなかでもごく一部に過ぎないのだ。
パレスチナだけでなく、スーダンやコンゴなどは
さらに不可視化されている。そしてその中でも彼らの多くは「沈黙」させられている。
彼らの声を聞かなければならない。
そして私たちはその声に対して「応答」しなければならないのだ。
沈黙を意図的に「する」人たちと、沈黙を誰かに「強要」する人たちは同じ場所にいる。資本主義社会が脆弱な立場の人々を搾取し続ける限り、誰もがこの構造から逃れることはできない。
私は沈黙しない人間でいなければならない。

その後ろに並んでいるいくつものパレスチナ連隊プラカード