MOCA、ヒロシマ
小森はるか+瀬尾夏美の展示を見にMOCAへ。広島市現代美術館、ほんとうに毎回展示が素晴らしいです。常設展がとても良い。
○常設点と広島
ヒロシマにまつわる作品がB1の展示室にあるけど、原爆の記憶だけではなく原爆以前の広島、原爆投下の一因でもある「軍都廣島」の加害性についても描かれた作品が展示されているのが好きです。広島という土地の交差的な歴史を、広島出身としてきちんと学びなおなければならないなと、常に思います。
そして、原爆について語られるときや原子力や原発について語られるときフクシマやヒロシマ、チェルノブイリについて語られることが多いですが、ナガサキが忘却されることについても考えていきたいと思っています。
長崎で活動されている方が、長崎は広島ほど原爆の記憶をとどめることがうまくできなかったと言っていたのを何かの記事で見たことがあります。広島は「世界で最初に」原爆が投下された場所という場所がら、また市街地の中心に平和記念公園があるというアクセスのしやすさもあって、世界に「ヒロシマ」が浸透したのだと思う。だけど、だからといって「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」という三点からナガサキを忘却していいというわけではない。これは広島市出身で、原爆=広島のものという無意識に思ってしまう私への自戒でもあります。
それから「ヒロシマ」を語るときにも私が広島市内=広島だと思ってしまうことを実感した。広島県内における広島市って面積的にいうと十分の一くらいなのに。ということを考えると、私は本当の地方に住んだことがないのだなあ・・そんなことをぼんやり美術館の帰り道に思ったりしました。
○小森はるか+瀬尾夏美
MOCAの展示で小森はるか+瀬尾夏美さんの作品も良かった。
展示の後半に、11歳のときの記憶をいろんな人に聞いた聞き書きを小冊子にしたものや展示に来た鑑賞者が同じテーマで自由に書いたノートなどが残されていた。
最年少は今年11歳になったばかりの子、最年長は1925年生まれの方。最年少と最年長のどちらも11歳のときに起こった印象的な出来事は「戦争」だった。一番年上の1925年生まれの方は、その頃の記憶は全て戦争にまつわるものだと、最年少の子は「戦争が起こったこと」というふうに書いてあった。およそ100年経ったというのに、11歳の子どもの記憶がこんなに似ているというのは、どういうことなんだろう。人間が同じ間違いを繰り返すことを、私たちは止められないんだろうか?
先日、日本は対米への武器輸出が可能な国になってしまった。私たちは本当にどこへ向かっているんだろう。政治家たちがしたいことは明確だけれど、世間は大衆は私たちは何がしたくてこの政治家たちに文句ひとつ言わないんだろう?先日のブログでも書いたけれど、「無関心」という言葉だけでは言い表せない本当に大きな力(政治的な、という意味ではなく)が動いているような気がします。MOCAでこういう展示内容が見られることはまだ希望だと思うし、私に何ができるのかをちゃんと自覚しないと。
○追記
最近のブログやソーシャルメディアの投稿は、パレスチナのことや暗い話ばかりなのだけど、私だってこんなに戦争や残虐なことばかり考えていたくない。だけど、こんなことが起こっているというのに表面的な楽しい日常をわざわざストーリーにあげることは、ただの目隠しのように思えてできない。
MOCAの特別展は「ガラスの器と静物画」という、戦争とか政治とかには直接的には関わりのないものだった。私のお気に入りは、⬆︎のガラスの器にピンヒールで方足立ちしている絵。現実にガラスの器の上にヒールで全体重を載せてしまったら、おそらく割れてしまうだろう危うさがあって、シュールレアリスムのような非現実感があるけれど、どこかバランスが保たれていて現実のもののようにも思える、境界線を曖昧にするような感じ。こういう作品を見ながらずっと夢心地でいたい、私だって!アートとか文学とかサブカルとか普段は言ってるくせに、一度もパレスチナのことで行動してないひと、まじでもう一度考え直してほしい。(怒+悲)