ある日の日記

私が生まれたときには、もう世界は十分すぎるくらい
壊れていたんだなということを
近頃ひしひしと感じます。
最近の世界情勢(2つの ‘戦争’や’地球沸騰’)をみて
大人の人たちは「これまでのボロが出てきた」と言います。

 

だけど、その「ボロ」は本当に最近出てきたものでしょうか?
私が生まれた1998年ごろにはすでにボロは出ていて
私たちが今見ているのは、もう取り返しのつかない裂け目ではなんじゃないだろうか?

 

気候危機も、みんなが本気で頑張ればまだ間に合うし
ガザで起こっているジェノサイドもみんなが本気で止めれば止まるはずなのに
なぜ誰も止められないんですか?
(特にアメリカ、ヨーロッパ、日本の偉い人たち、そして市民たち)

 

11月25日 渋谷ハチ公前で行われたガザでの虐殺の犠牲者を弔うイベント
Tears for Palestineにて

 

もはや一般のひとびとの「無関心」という言葉では
説明がつかないような気がしています。
(それでも、いまの世界で何の危機感も抱いていないなら、
それはさすがに鈍すぎると思う。
それか、見ないふりができる特権に気がついていないだけです。
言葉がキツいかもしれませんが・・)

 

「人間であることが恥ずかしい」
プリーモ・レーヴィの言葉。
いろんな人の人間らしさに魅せられてきた私ですが
人間性を失ってしまった「人間らしきひと」の多さに
毎日、息が詰まりそうな思いです。

 

こんな世界で、私はなんで生きているんだろう

こんな世界のどこに楽しみを見出したらいいんだろう。

 

二十歳のころに毎日のようにしていた映画鑑賞も
最近は楽しく観ることが難しくなってきました。
読書をすると少しこころが落ち着くけれど
本を閉じた瞬間に、さっき本を読んでいた時間で
何人の人が殺されたのだろうと胸が苦しくなります。

 

2023年、私が、あなたが生きているこの時間
ほんとうに、一人一人の行動で世界が変わります。
無為に時間を過ごさないでください。
世界のどこかで起きている虐殺も、抑圧も、あなたの手にかかっています。

 

こんな世界で生きていかなければならない私たちの
そして少しでも余裕がある私たちの責任をどうか自覚してほしい。

 

わたしの怒りも苦しみも、1ミリだって誰かが苦しむために使いたくない。
世界中の人がみんなハードコアなアクティビストになるべきだとは思っていません。
(実際、私もアクションに毎日のようにいっているわけではない)
だけど、今を生きる人間として「世界で何が起こっているか」を知り、学ぶことは
すべての人が行わなければならない義務ではないかと思います。

 

すべての人が生き延びることができるように。

 

2023年11月25日