しきたりから逃れる

 

金子光晴の文章が好きだ。文章を読んでいて、こんなに考え方に共感することができる作家は初めてだ。何も目的はないけど、とにかく日本から抜け出したくて、だけど立ちはだかる海に、「ここは閉ざされている」と逃げられなさを感じる。いざ抜け出してみても、自分の中に蔓延る「日本人」に嫌気がさして絶望する。「永遠にどの港にも着かなければよいのに」と、出発をしながら唱えている。表面的には煌めいている屑がそこらじゅうを埋め尽くしている。

金子光晴がみたものはわたしが今みているものとは全く違うものだけれど、人間の、特に日本人の、狭苦しさ(もちろん、わたしの中にもある)への嫌悪は変わらずあるのだなと感じた。逃げ出したい、逃げ出したいけれど、もし逃げだしたとしても、わたしもきっと戻ってきてしまうのだろう。それほどに私たちの中にいる「日本人」は根強い。ここ数ヶ月、外国の人と話す機会がいくらかあった。自分でどれだけ差別的なものに対して嫌悪を抱いていても、見た目による判断をしないようにしても、私は彼らと接する時に少なからず身構えてしまっていることに気がついた。悔しくて、自分が憎たらしくてたまらない。「君は、ひげをはやしてみても、おんなじだよ」である。この自分の小ささに絶望、しているだけまだ正しい姿勢だと信じたい。

 

今日、京都国立近代美術館でドレス・コード?展をみた。

 現代ファッションの規範のなさはすごい。かなり面白い展覧会だった。個人的には迷彩柄の着物がとても魅力的だった。

 

 


VETEMENTS Fall Winter 2017 2018 Menswear Paris by Fashion Channel

 

最後の方の展示でこのビデオが流れていた。このコレクション、デザイナーの人が「年金生活者」「ミスナンバー5」など37のコンセプトをそれぞれ与えているそうで、それは私たちが人を見た目で判断してしまうことを逆手に取ったものらしい。私たちは日常的に街ゆく人をみながら、その人の服装やメイク、髪型、体裁から「ああこんな生活をしているんだろうな」と想像/判断する。それってあまり良くないことだとわかっていても、そうしてしまいがちなのはある意味、その想像/判断がある程度当たることが多いからなのではないかと思う。それだからこそ「人を見た目で判断してはいけない」のであって、私が彼らの想像/判断を裏切れたらとてつもなくエキサイティングだ。やっぱり「ファッションは終わりのないゲーム」なんだ。

何に対しても、なんとかして自分の中のしきたり的思考と離れなければならない。